今昔物語集の著者は、どういう視点で人間や社会をとらえたのだろう。
一体何故、何のために今昔物語集を編纂したのだろう。
この膨大な説話集は、何故生まれたのか。
その何故ということを読み解く際には、他の説話集との書き方の違いが
どのようになっているのかを明確にして導き出すのが有効である。
ここでは同じ説話集である宇治拾遺物語との相違点を通じて考察を進めてゆくことにする。
未完と推測されるとはいえ、千数十話もある今昔物語集に対して、
百九十七話の宇治拾遺物語という説話の数の違いはあるものの、
両説話集には共通する話が八十一も存在している。
いずれも源流を遡れば『宇治大納言物語』というひとつの説話集に
たどり着くと考えられているが、『宇治大納言物語』はすでに散佚してしまった説話集である。
両説話集を読み較べ、そこにある差異を明らかにしてゆくことが、
今昔物語集の特徴を掴む唯一の方法であろう。

最初に、それぞれの説話集に書かれた最も醜い部分を取り上げてみよう。
今昔物語集の巻二十九第二十五話「丹波守平貞盛、児干を取る語」は、
戦いで矢傷を受け悪性の瘡をつくってしまった平貞盛が、それを治すために妊婦の腹を裂き、
特効薬である男児の肝臓を求めるというおぞましい話である。
赤子の命を犠牲にして瘡を治したと思ったら、矢傷を負ってしまうような弱将である
という外聞が広まるのを恐れるあまり、
平貞盛は息子の平維衡に命じてその医者を殺そうとした。
これら平貞盛の行動にはどこにも遠慮がない。
丹波の守を務めていた平貞盛の、権力者としての横暴が
あたかも当然のように書かれていて、
我々現代人が読んでも当時はこういうことがありうる時代だったのだ、
と納得しまうほどではないか。
権力者を正当化させる説明がこの話の節々にはある。
親が子に対して、使用者が使用人に対して、無理難題を要求する。
それが困難な話であっても、両者の間には絶対的な権力が作用しているから、
要求された側は拒むことができない。
矢傷が公になっては武将の威厳を保つことはできないし、
東北の反乱勢力を鎮圧するために次期の陸奥守として
朝廷から派遣される地位を掴みそうだった平貞盛にとって、
地元の争いで負った矢傷が原因で
瘡ができたというマイナスイメージは流すことができない失態であった。
平貞盛自身の失脚は家全体の失脚であるから、
確かにそれは個人の問題だけではなかった。
平貞盛が地位を失えば、その一族郎党や使用人も同時に仕事を失うのである。
息子の平維衡にしても、それが分かっているから
無理な要求を拒むことができなかったのも理解できる。
そもそも悪性の瘡であるから、平貞盛からすればどんな犠牲を払ってでも
治療したいと思うのは当然のことでもあった。
京から丹波へわざわざ呼び寄せた医者が唯一の特効薬は男児の肝臓だと言うのだから、
その方法にすがらない理由はない。
最初に平貞盛は息子の嫁が妊娠していることを指摘し、その子供の肝臓を要求する。
息子の子供ということは自分の孫であるのに、
自分のことしか目に入っていない平貞盛は躊躇することがない。
困った息子は医者と相談した上で、「我が胤は薬に成らず」と医者から言わせることで
その無理矢理な要求から逃げることに成功した。
使用人の飯炊きの女が懐妊して六カ月になっていることを知った平貞盛は、
その女の腹を裂いて胎児を取り出す。
胎児が女子だったからその死骸を捨てておく場面には、
平貞盛の非道ぶりから思わず目を背けたくなる。
なんとか別の妊婦を探して児肝を得た平貞盛は、なんとか命を取り留める。
要件を済ませた医者が帰ろうとするのを見て、
平貞盛はその治療法を教えてくれた医者を殺して
話が世間に漏れるのを防ごうとするのだ。
それも自分自身で実行するのではなく、ここでも息子に命じて
帰京の山中で強盗を装って医者を殺そうとした。
医者に恩を感じていた息子は策を巡らせ、医者と別人を入れ替えさせて、
強盗に別人を殺させた。
医者の命を救って無事に京都へ帰させたのだが、
医者を殺したと思い込んだ平貞盛は「喜て有ける」と書かれている。
こうして話を取り上げることも躊躇するほどの非道ぶりであるし、
さすがの今昔物語集の著者も「貞盛朝臣の婦の懐妊したる腹を開きて
児干を取らむと思ひけるこそあさましく慚はき心なれ」と
自分の非難意見を書いているほど、
平貞盛の行動は醜さの頂点に達している。
偶然にも平貞盛は丹波守や家長として強い権限を持っていたから、
そんな悪事も実行可能であった。
他の人が同じ状況に置かれたとして、
考えることはあっても果たして実行に移すまではできたのだろうか。
その行動も自分の社会的な立場があって、
立場上追い込まれていた平貞盛ならではのことと言うこともできる。
他人に不幸を強いて行動しなければ、
自分や自分の周囲の人々が危うい立場に置かれるだけなのだ。
自分ひとりの不幸であれば、悪性の瘡も運命と考えて、
死を受け入れる選択肢も視野に入ったかもしれない。
ただ、自分には家族がいて、一族の未来を背負っていたから
安易に死を選ぶことができなかったということもある。
そう考えれば、平貞盛は今昔物語集の中で
意図的に仕組まれた悪役なのだと捉えることもできないか。
彼がしたのは申し開きできない悪行ではあるが、何も好き好んで悪事を働いたのではなく、
そうせざるを得ない状況に追い込まれていた、ということも考慮に入れないといけない。
他の醜い話を挙げてみると、巻二十九第二十六話の「日向守■、書生を殺す語」には、
日向守が任期を終えるにあたって今まで自分がしてきた不正を誤魔化すため、
部下の書記官に命じて書類を偽造させる話がある。
離れ部屋に監禁して書類偽造を完成させた後に、書記官に褒美の品を与えたまではよいが、
その後には書記官が予感していた通り、口封じのためにその書記官を殺害しようとするのだ。
殺されるために山奥へ連れて行かれる道中、書記官は老母と妻子に一目会いに行き
「露錯たる事も無けれども、前の世の宿世にて、既に命を召しつ。痛く歎き給はで御ませ。
此の童に至ては、自然ら人の子に成ても有なむ。嫗共何かにし給はむずらむと思ふなむ、
殺さるる堪へ難さよりも増て悲き。今は、早う入給ひね。
今一度御顔を見奉らむとて参つる也」と言うのだ。
日向守から殺害を命じられた郎党たちも、さすがにそれを聞いて涙を流すが、
最後は主命だからと書記官は殺害され、その首が日向守まで届けられるのである。
これもまた非道極まりない話である。
話の最後には「日向守いかなる罪を得けむ、詐りて文を書かするそら、なお罪深し。
いわんや、書きたる者をとが無くして殺さむ、思いやるべし。
これ重き盗犯に異ならずとぞ、聞く人憎みけるとなむ語り伝えたるとや」と書かれてはいるが、
話の途中であまりの醜さに遠慮して、救いどころを作るようなことは一切ない。
日向守の非道さを最初から最後まで淡々と書きあげて、
この説話は終わりを迎えてしまうのである。
巻二十九第二十四話の「近江国の主の女を美濃国に将て行きて売りたる男の語」は、
若くして夫を亡くした妻が、長年仕えていた使用人に騙されて身売りされる話だ。
湯治か山寺にでも行って気晴らしをしようと言ってきた使用人を信じて妻が出かけると、
近海の家から美濃の見知らぬ男の元へと身売りされてしまう。
裏切られたと知った妻は、下賤の者を信頼してしまった自分が愚かだった、
と絶望のあまり食事を摂ることをせず、そのまま死んでしまう。
妻を買った家の主人が京に上ったときに「糸奇異く哀れ也ける事かな」と、
まるで他人事のようにこの話を広めたことが、
今昔物語集に書かれることにつながったと最後に結ばれている。
こんな醜い話も当の本人が堂々と他言できるような世の中だったのだと思うと、
ますます醜さが増幅されてくるようだ。
この話の妻にも、救済の道がひとつも示されていない。
若くして夫が死んだのはまだやむを得ないまでも、頼りになる親や親戚もいなければ、
唯一頼りにしていた長年の使用人にも裏切られ、知らない男に金で売り飛ばされてしまう。
その男にも不幸な身の上を話したところで、全く聞き入れてもらえることなく、
最後は食事を取ることもないほど精神的にやつれて死んでゆくのである。
先の平貞盛の行動と同様に、
これら二つの説話も何の言い訳もできないぐらい醜い内容ではないか。
日向守と使用人に共通することも、平貞盛と同じである。
人道に背くとはいえ、偽造と口封じをしなければ日向守はいずれ自分の後任者に、
今までしてきた悪事を見破られてしまう。雇ってくれる主を亡くした使用人は、
そのまま女に仕えていてもいずれは自分の食いぶちに困ってしまう。
背水の陣に追い込まれた人間が醜い行動に移るのは世の常なのだと、
今昔物語集ではそれが当然のように、そして遠慮なく話中に投影されていることが分かる。
その背景にあるやむない状況が説明されることなく、淡々と悪事だけが書かれるのだから、
読者はまるでそれが故意的に行われたかのように錯覚して、
悪人たちへの非難を強めるのである。
悪事をした者が責められるのは当然ではあるが、
今昔物語集に書かれた言葉だけを見ていると公平な判断を誤ることにもつながるのではないか。
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