与謝野晶子の短歌や、佐藤春夫の『晶子曼陀羅』を通読すると、
そこには運命の流れに翻弄された一人の詩人像が浮かび上がってくるよ。
晶子の人生には数々の運命の分岐点があったが、
その中で最も大きなものは、生涯の伴侶、与謝野鉄幹との出逢いでしょう。
鉄幹と出逢う以前の晶子にとって歌を詠むこととは、
己のほんわりとした娘心を何気ない気持ちで表しただけのものであり、
己のユニークな部分を主張するためのツールだったと思うんだ。
しかし、鉄幹と出逢い、鉄幹に恋するようになってから、
晶子にとって詩を書くことの意味が一変している。
言葉の意味を考えずとも、鉄幹への想いがそのまま詩となり、
自分を飾るために詩を詠むのではなく、自分の感情がそのまま詩になった。
もう少し言うのならば、鉄幹への愛情が晶子の身体の中に収まりきれずに溢れ出し、
詩として形を成している。

鉄幹と一緒になりたいがために、無断で実家を出奔しようとする前夜、
親への良心と、己の気持ちに素直に生きたいという願望の狭間で晶子は激しく悩んだ。
しかし、やはり晶子は己の生き方を貫こうとする意志のある人。
当時の社会では後ろ指を指されるようなことをやってのけた。
全てを捨てて、恋する鉄幹のもとへ、夢見る詩の世界へと飛び込んでいったのだ。
この行動は、晶子の親友であり、同時に斬新な女流詩人としての
好敵手であった山川登美子が、親の薦める相手と結婚したことと対照的。
新しい女性像を理想として掲げた二人のうち、一人は古い慣習の中に戻り、
一人は無謀とも呼ぶべき突飛な行動でもって新しい世界を求めた。
しかし二人のその選択も、その後の人生では運命に翻弄される
小さな選択でしかなかったというのは、皮肉なものだなぁ。
鉄幹との出逢いは、晶子の詩への想いを変えただけではなく、
晶子の性格そのものを大きく変えた。
それまで自分でコントロールできていた己の性格は、
すっかり手のつけようがない情熱の嵐の与謝野晶子へと変化していった。
実家との疎遠、兄との不仲が生じ、鉄幹の前の愛人との争いがあった。
それをようやく乗り越え、晶子初の歌集「みだれ髪」が刊行され、
晶子と鉄幹の子供が産まれるという幸せな出来事があっても、
鉄幹との平和な生活は素直に続いてくれない。
晶子の人生最大の選択とも呼ぶべき鉄幹との結婚について、
大きな皮肉が待ち構えていた。
嫁いだ先の夫が早死にをしたことがあり、山川登美子が東京に出て来ていた。
恋の好敵手でありながら、途中で自ら道をそれたはずのその山川登美子が、
今更ながら鉄幹と情を通じていたのだ。
無二の親友から裏切られ、
命を張って追ってきた男からも裏切られるという、無残な事実。
その上に、さらに酷い皮肉が重なる。
愛する鉄幹との生活のため、愛する鉄幹に捧げようと詠んできた晶子の詩が
世の中に認められてゆくにつれ、晶子の想いとは裏腹に
鉄幹はそれを面白く思わなかったのだ。
偶然か、必然か、晶子が鉄幹と一緒になると同時に、
詩人としての晶子の名声は高まり、鉄幹は下降の一途をたどっていった。
己を弟子と名乗って自分の元に来た晶子に、鉄幹は嫉妬を覚える。
何時の間にか、鉄幹は晶子にすっかり上を越されていたのだ。
恋に傷つき、詩に背かれても、晶子は以前と変わらず、
あるいは以前にも勝る情熱をもって詩を詠み続けた。
ここに、詩人・与謝野晶子の本性が見えるよ。
晶子は恋の酸いも甘いも知りつくし、それを詩の世界に開花させた。
幸せな意味でも、哀しい意味でも、恋への情熱、
鉄幹への情熱が晶子の詩を輝かせたのだ。
晶子が経験した恋とは、決して甘いものばかりではない。
傷つけられ、裏切られ、しかしそれでも鉄幹のことが忘れられない。
不仲の最中に、しばらく離れて暮らすことで、気持ちを整理しようとしたにも関わらず、
やはり夫恋しさに耐え切れなくなり7人の子供を日本に残したまま、
ロシア鉄道を乗り継いで、鉄幹のいるパリへ単身飛んでいく晶子。

恋しい夫に甘えるのもつかの間、今度は残してきた子供が愛しくなってしまう晶子。
ついには鉄幹をパリに残し、子供恋しさに突然日本に帰ると言い出した晶子。
帰国の船に乗ったら乗ったで、結局子供よりも鉄幹のほうが恋しいと知って、
取り止めのない己の心に泣いた与謝野晶子。
晶子は大人の良心と、自分の素直で激しい気持ちの狭間で
悩み、苦しみ、そして生き、詩を残した。
晶子が情熱の歌人と呼ばれるのも、
己の真っ直ぐな熱情を言葉にして詩を作り上げたからに他ならないだろう。
詩人としての晶子は、詩にこめられた激しい情熱で大成功を収めた。
しかし、鉄幹を愛することだけを生き甲斐とした一人の女性としての晶子は、
それほど成功したようには思えないんだ。
矛盾を繰り返す己の心に翻弄され、皮肉な運命に流され続けた。
『晶子曼陀羅』には、詩人としての成功と愛人としての苦悩、
そういう晶子の二面性がはっきりと描かれているよ。
晶子が自分の人生に満足したのかどうかは別として、
晶子の詩はキラキラと輝き、人々に愛された。
皮肉な運命に弄ばれながらも、そこで生まれた激しい情熱の嵐を詩にぶつけたことで、
奇遇にも幼い頃に目指した詩の美学は貫かれたようだ。
しかし、愛する鉄幹がそれを喜んだのかは別問題。
晶子が一番望んだことは、叶わなかったのかもしれないなぁ。
どこまでも皮肉な詩人、しかし恋も詩も思う存分堪能した
詩人・与謝野晶子の姿が、与謝野晶子の短歌からは瑞々しく伝わってくるようだ。 |
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